キング牧師記念日(MLK Day)ボランティアでアメリカ体験

一月第三月曜日(2018年は1月15日)は「キング牧師記念日」でアメリカでは祝日です。そして、後にこの日はキング牧師ボランティアの日として、アメリカ全土でボランティア活動を推奨する日と定められました。

キング牧師といえば、“I Have a Dream.”「私には夢がある」の演説に胸打たれた高校時代を思い出します。



数年前のこの日、著者はアメリカに居ました。これが記念すべき初渡米。そして、初米は、仕事関係で、場所はニューヨークでも、ワシントンでも、カリフォルニア、ハワイなど日本人が観光で行くような場所ではなく、アラバマ、そしてミシシッピーとディープな南部アメリカでした。著者が当時務めていたNGOが現地のボランティアセンターと協力して、ハリケーン・カトリーナの被災地にボランティアを派遣した時のこと。

ハリケーン・カトリーナとは10年以上前の2015年8月下旬にアメリカ南部を襲ったスーパーハリケーン(北大西洋、カリブ海、メキシコ湾および西経180度より東の北太平洋東部、に存在する熱帯低気圧)その威力は、最大時で最高のカテゴリー5を記録し、多数の死者(約行方不明者を含め2,000人以上)を出し、甚大な被害をその地域にもたらしました。

ハリケーンカトリーナ後のボランティア派遣とMLK Day

ボランティア派遣と言っても、災害後すぐではなく、地元のボランティア活動と調整しその動向と合わせた派遣となり、結局派遣は年末・年始になりました。これを機に、ボランティア活動をキング牧師のボランティアの日(通称、MLK Day)の活動もかねることになりました。ボランティアの日は、キング牧師の記念日である、一月の第三水曜日にあるボランティア活動を推奨する日です。

アメリカでの公民権運動の発端となったローザパークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks)事件があったアラバマ州モンゴメリーから更にモービルに向かって南下しながら、活動を行っていきました。

カトリーナから数カ月後のことながらも、地元の民家の復旧はそれほど進んでおらず、現地のカウンタパートボランティアセンターもボランティアの手を必要とする地元住民とボランティアとのマッチングに追われている様子でした。家屋の修繕に関しては、家主が保険に入っているか否か、また修繕の費用の有無も関わっているようでした。全体的に非白人地域に人手が必要とされていました。

派遣先での作業

著者が日本とアメリカのボランティアと派遣されたのは、カンボジア系移民の生活する家屋とアフリカ系アメリカ人の家でした。年季の入った建物は強風を耐えたもののかなりのダメージ。屋根や壁などからは水漏れがあり、場所によっては生活に支障をきたすレベルものもありました。
MLK Dayのボランティア活動
家屋の修繕活動に精を出すボランティアたち

大工仕事が素人なみな著者(それでも日本に居る時には大工仕事を多少なりとも経験しています)で心配でした。なので、他のボランティアに習おうと思いましたが、他のボランティアたち、著者並みに素人な模様。苦戦しつつも作業を行っていました。
MLK Dayのボランティア活動
埃まみれになりながらの作業
MLK Dayのボランティア活動の一環として、ハリケーン・カトリーナ被災者を
対象としたボランティア活動を行いました

様々な人々に出会いました。家が完全に破壊された家族は、トレーラーでの生活を余儀なくされており、夫婦ともに苛立っており、我々ボランティアがいようがお構いなく、夫婦喧嘩。あるいは、家のダメージはあったけれども、家族が無事で何よりという人に会いました。ボランティア活動の中日にMLK Dayの式典などにも参加し、キング牧師の親せき筋の人にも会いました。

初アメリカ(南部)

活動中の宿泊場所は、民家、教会等でした。そこで出会うアフリカ系アメリカ人の内外の大きさ!に圧倒されつつ、また彼らの英語のアクセントがどうしても聞き取れず苦労したことが思い出されます。

また、移動は全て車であったため、ひたすら高低がない平原を走り、その風景が何時間あまり変わらないことに新鮮な驚きを覚えました。そして、途中の昼食休憩の時の小皿ほどのサイズはあるであろう、ハンバーガー。頂いている時は、とにかくどうやったら完食できるのかと、気が遠くなったことが思い出されます。
印象的であったのが、バプテスト教会の礼拝に参加した時のこと。牧師さんの熱い説教、信者たちのパワフルな讃美歌に驚かされました。

あっという間の南部アメリカ滞在でした。MLK Dayのシーズンになると、これらの日々が思い出されます。

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